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■日本の錦鯉の歴史
 越後山古志(やまこし)、小千谷(おじや)地域、現新潟県長岡市山古志、小千谷市の隣接する山間の地域が錦鯉を産出した原産地と
されています。
 鯉(Carp)のルーツを辿ればヨーロッパ、シルクロード、中国などの記述を目にします。
長い歴史の中で朝鮮半島を経て日本に渡ってきたという推測がなされています。
 日本に渡って来た鯉は山古志地方で、食用として育てられていたようですが、二百年程前の文献に突然変異と言う記述があり、そして
人工交配等を経て、鯉(Carp)から錦鯉(Koi)に鑑賞魚として性質を変えていきます。
 
■錦鯉の広がり
 錦鯉は紅白と言う種類に始まります。
江戸時代後期に緋鯉と白鯉を交配させた結果、白地に緋色の模様の鯉が作られたようです。
 明治期になり赤と白が分離した模様が固定化され、この模様が紅白の前身となりました。
明治後期にドイツより鯉が輸入され、大正年間にかけて、ドイツ鯉との交配が試みられ、
さまざまな新品種へ発展していきます。大正3年に、東京上野の不忍池で開催された大正
博覧会において二十数尾の錦鯉が出品され、越後の変わり鯉が公式に世間の注目をあびる
こととなります。
 その中の八尾が皇太子殿下(のちの昭和天皇)に献上され、山古志村では村をあげて錦鯉
宣伝に勤め、やがて日本各地の愛好家に知れ渡るようになりました。
 その後大正、昭和期にかけて、大正三色、昭和三色と次々に新品種が増加してゆくこと 錦鯉の絵方帳 高梨直治氏所蔵
となります。
 戦時中にも、ひそかに飼う人たちで系統が保存され、戦後昭和21年に黄金を作出、昭和
三十年代に錦鯉ブームを迎え、世界各国にも知られるようになり、現在も愛好家の目を楽
しませています。
 
 現在も各地の錦鯉品評会で高い評価を得る錦鯉の作出地の多くが山古志、小千谷と言っても過言では
ありません。
  大正博覧会風景 高梨直治氏所蔵
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